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コルキスの最初期

意外と知らない真実。
このようなことが起こっていたようです

この地域は、十分な発達を遂げた青銅器文明の中心地であった。その文明はコルキス文明(en:Colchian culture)として知られ、青銅器時代中期にかけて出現した隣接するコバン文明(en:Koban culture)と関係があった。少なくともコルキスの一部では、都市化のプロセスは、古代ギリシアの植民以前、紀元前2000年の終わり頃までには、十分に進んでいたように見られる。青銅器時代後期(紀元前15世紀〜紀元前8世紀)のコルキス人は、ヨーロッパでその技術が習得されるずっと以前に、金属の製錬と鋳造を始め、その専門技術の発達ぶりが確認できる。洗練された農具も作られた。過ごしやすい風土に恵まれた、肥沃でよく灌漑された低地が、進歩的な農耕技術の成長を促進したのである。

コルキスには、主に黒海沿岸に、それぞれ関係はあるものの別個の部族が定住した。具体的には、Machelones、Heniochi、Zydretae、Lazi、Tibareni、Mossynoeci、Macrones、Moschi、Marres、Apsilae(現代のアブハズ語を喋っていたかも知れない)、Sanigae(現代のアバザ語を喋っていたかも知れない)、Coraxi、Coli、Melanchlaeni、Geloni、そしてSoani(Suani)族である。これらの部族は言語的にも外見上も、周辺諸国とは異なっていて、古代人はこの現象を説明するのに、さまざまな理屈を考えた。ヘロドトスは、エジプト人やエチオピア人と同様、彼らは最初に割礼を実施した最初の人々であると述べた。ファラオのセンウセレト3世(en:Senusret III。紀元前1878年 - 紀元前1841年)の軍隊の残存者から生じたとも信じていて、彼らをエジプト人だと見なしていた。一方、ロードスのアポロニウス(en:Apollonius of Rhodes)は、コルキスのエジプト人は先祖伝来の家宝として、相当の装身具と一緒に、海や交通路を描いた多くの木製の写字板を保存していたと言った。この意見は古代人に広く受け入れられることはなかったが、近代の著作家の何人かが、完璧とは言わないにせよ、弁護したこともあった。(アラブの奴隷売買に先行して)黒海地方に黒色人種がいたようで、もしかしたらその起源は古代の外エジプト遠征まで辿ることができるかも知れないが、考古学的証拠によって確認されたわけではない。

なお、現代の学説では、コルキスの主な部族はラズ系ミングレリア人(en:Samegrelo)の直系の子孫で、グルジア人ならびにアブハジア人の民族的起源で重要な役割を演じたとされている。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年01月16日 22:48に投稿されたエントリーのページです。

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